名古屋の名所である名古屋城に、これまで復元されていなかった本丸御殿(城主の住居)が、総工費150億円の費用をかけて完全復活しました。
お城や社寺などの建築物が大好きな僕としては、徹底的に調べ上げ、見どころをまとめ上げずにはいられませんでした……。
見た目だけ復元されただけではなく、総檜(ひのき)の木造であることはもちろん、建築技法もすべて当時の技術でよみがえったのです。
また、豪華な錺金具(かざりかなぐ)や障壁画なども、莫大な資料をもとに極限まで忠実に復元模写されているところは圧巻です。
「これぞ名古屋!」「豪華絢爛!」といった言葉がピッタリ当てはまります。
何と言っても、400年前の新築の状態で完全復元されているため、徳川義直がその当時に見たものと限りなく同じ姿を見ることができるのです。
現代に生きる僕たちにとっては、これほど幸運なチャンスはありません。
早速、復元工事が完了したての名古屋城本丸御殿に足を運び、調査をしてきました。
これから名古屋城本丸御殿に行くあなたのために、見学が100倍楽しくなる見どころをご紹介いたします!
もくじ
73年ぶりによみがえった国宝!名古屋城本丸御殿とは
名古屋城は、1615年(慶長20年)、徳川家康が天下統一の最後の布石として築いた城です。そして本丸御殿は、京都にある二条城「二の丸御殿」と並び、近世城郭御殿の最高傑作です。
名古屋城本丸御殿は、徳川家康の9男である「徳川御三家筆頭・尾張藩主の徳川義直」の住居として建築されました。
また住まいとしてだけではなく、藩の政務を行う建物としての役割もあります。
お城の殿さまと言えば、金のシャチホコが乗った天守閣に住んでいたと思っていました!
天守閣も本丸にありますが、住居ではなく城主の威厳を示すための象徴(シンボル)です。
エレベーターという概念すらない時代に、殿様が階段を上り下りするのも大変ですよね。
また、天守閣は城主の権力や財力を示すのはもちろん、物見櫓(ものみやぐら)としての役割もあります。
そのため、監視のために登るのは基本的に家来です。
城主は本丸にある御殿、つまり本丸御殿に住んでいました。
今(2018年)から約400年も前に、重機なしでこれだけの木造建築が建てられたことを考えると、ワクワクが止まりません。
オラ、ワクワクすっぞ!
クリリンか!
しかし、第二次世界大戦の末期、1945年(昭和20年)5月14日に空襲によって天守閣および、本丸御殿が焼失してしまったのです。
それから14年後の1959年(昭和34年)に、名古屋城天守閣の立て直しが行われました。
しかし、名古屋城や大阪城の天守閣は木造ではなく、鉄筋コンクリートで作られた外観だけを復元された建物です。
当時の建築基準法では、巨大な木造の建築が制限されていたからです。
そのため、外観だけは建設当初の見た目ですが、中身はエレベーター付きの博物館になっています。
お城がコンクリートだと、がっかりしますよね……。
幸いなことに、1930年に、城(城郭:じょうかく)として国宝指定第1号を受けたため、写真や図面など、莫大な資料や写真が残されていました。
それに加えて、大切な国宝を空襲から守り抜くために、襖や装飾品など1000以上も取り外して、運び出せるものは別の場所に移されて焼失を免れたのです。
そこで、「本丸御殿は木造で復元しよう!」とう計画がカタチになり、当時と同じ工法・材料を用いて建築されました。
他に類を見ないほどの資料があったからこそ、限りなく当時の姿に近い形で復元できたのです。
早い段階で国宝に指定されていたことと、戦争中に運び出してくれた人たちのおかげで、400年前に建てられた本丸御殿を新築で見られることに感謝します!
当時、一般人は到底見られるものではなかった高貴な場所に、今足を踏み入れることができるのは光栄なことですね。
徳川義直と同じであろう景色を目の当たりにできるのは、人生においてとても貴重な体験です。
檜(ヒノキ)と畳のいい匂いがして、削りだされたばかりの真っ白の木材を目の当たりにできる新築の本丸御殿を見られるのは今だけです!
名古屋城本丸御殿の間取り
名古屋城本丸御殿:展示案内より引用
書院造の木造平屋13棟(延べ3,100平方メートル)がよみがえった。
名古屋城本丸御殿へのアクセス
電車の場合:名城線 「市役所」 下車 7番出口より徒歩 5分
車の場合:名古屋高速都心環状線 「丸の内」 出口から北へ5分
名古屋城周辺駐車場
名古屋城の駐車場は、➊正門側(南)に1つ、東側に2つあります。(❷、❸)
「➊正門駐車場」が入り口に一番近いため、今回はここに停めました。
名古屋の定番・老舗名古屋飯屋が軒を連ねる「金シャチ横丁(直義ゾーン)」も正門近くにあるり、アクセスも良好なのでオススメの駐車場です。
参考 金シャチ横丁直義ゾーンただし、土日祝日は午前11時前後には満車になることが多いそうなので、早めに行くことを強くオススメいたします。
「これぞ名古屋!」と言える、金箔尽くしでド派手な名古屋飯が一挙に味わえるのでオススメです!
名古屋城本丸御殿の見学を100倍楽しくする見どころを紹介!
ここからは、名古屋城本丸御殿の見学を100倍楽しくする見どころを紹介させていただきます。
誰が見ても、「スゴイ作りだな~」と思うほど豪華絢爛な造りです。
しかし、見どころをしっかりと抑えていくことで、本丸御殿の見ごたえは何倍にも膨れ上がります!
本丸御殿の格式を表す書院造はもちろんのこと、当時の造りを極限まで再現した復元技術には惚れ惚れします。
お伝えしたいことはたくさんあるのですが、ここではわかりやすく見どころを以下の3つに絞って見ていきましょう。
- 釘隠しを含めた錺金具(かざりかなぐ)
- 襖絵・障壁画
- 天井
これらに共通することは、玄関から奥に進んでいくにつれて、より豪華になり格式が上がっていくことです。
早速、見ていきましょう。
名古屋城本丸御殿の見どころ1:錺金具
本丸御殿には、至る所に施されている「錺金具(かざりかなぐ)」に注目してください。
機械ではなく、その全てが職人による手作りであるため、莫大な時間や労力、お金がかかっています。本丸御殿だけで、約3,000個もの錺金具があるから一瞬たりとも目が離せません。
ここでは、錺金具の一つである「釘隠し」を見ていきましょう。
前述の通り、本丸御殿では奥に進むほど装飾が豪華になっていきます。
ただ、入り口付近に釘隠しは少なく、和釘もむき出しで確認できます。
これでも豪華な釘隠しですね。
将軍が訪れた上洛殿(じょうらくでん)の錺金具は、尋常ではないほど贅沢な造り。
上記以外にも多くの種類があるので、1つずつ確認していきましょう!
名古屋城本丸御殿の見どころ2:襖絵
襖絵も錺金具と同じように、奥に進んでいくほど格式が上がっていきます。
襖絵の格式は、走獣 → 花鳥 → 人物 → 山水と上がっていくことと、そこにある物語が見どころです。
序盤はギラギラしているけど、奥に行くにつれて落ち着きがある上品な豪華さになっていくところに注目!
最高格式の水墨画も必見です。
名古屋城本丸御殿の見どころ3:天井
僕としては、天井が1番の見どころです!
豪華絢爛な錺金具や襖絵に目を奪われがちですが、ひとたび上を向くとその部屋の格式が手に取るようにわかります。
なによりも、建築物としての構造と細かい細工には惚れ惚れしてため息が出るほどです。
ポイントとしては、複雑な構造になるほど格式が高くなっていきます。
- 竿縁天井(さおぶち天井)
- 格天井(ごうてんじょう)
- 折上げ天井(おりあげてんじょう)
- 二重折上格天井(にじゅうおりあげごうてんじょう)
ひとつずつ見ていきましょう。
日本建築における一般的な天井です。
格縁(ごうぶち)と呼ばれる木材が、一方向に組まれている天井です。
格天井は、縦横に格縁があり、格子のように組まれている天井です。
「亀の尾(支輪)」と呼ばれる木材によって、天井が一段高く折上げられている豪華な天井です。
また、格子の中には「小組(こぐみ)」と呼ばれる細かい細工が施されているところにも注目です!
文字通り、二重に折上げられている最も格式の高い作りの天井になります。将軍や城主が座る、最も格式の高い部屋だけに見られる大迫力の建築工法です。
製作に手間暇とお金がかかるため、格式を表すものとして使われるようになったのが始まりです。
まさに、名古屋城本丸御殿にふさわしいと言えます!
これ以上に豪華な細工が施されている天井もあるため、各部屋だけでなく、廊下の天井も要チェックです!
名古屋城本丸御殿を関学する際のポイントと注意点
いよいよここからは、本丸御殿の内部を見ていきましょう!
たくさん写真を撮ってきたので、疑似見学をして本番に備えていきましょう!
名古屋城本丸御殿を見学する際の注意点
150億円もかけて復元された本丸御殿を後世に残すために、いくつかの注意点があるので必ず守りましょう!
以下の通りです。
- 障壁画や錺金具などに触らないこと
- 写真撮影はOKだが、フラッシュNG
- 飲食禁止
- 通話禁止
- ボールペンなどの使用禁止
- 禁煙
当たり前のことが書かれていますが、厳守しましょう。
また、トイレや授乳室、冷房がないため、事前にすませたり、対策をしたりしていきましょう。
江戸時代の空間を正確に復元するため、照明を控え、冷暖房・トイレなどは設置していません。体調に十分ご留意のうえご観覧くださいますようお願いいたします。
名古屋城本丸御殿観覧時のお願いより引用
本丸御殿の中は照明が少ないため、薄暗いです。歩行や見学には問題はありませんが、写真を撮りたい場合は携帯だと少し暗くなってしまう可能性があります。
「ブログに載せたいから、どうせならきれいな写真を貼りたい!」と思い、前日に一眼レフデビューしました(笑)
ただ、初心者なのでそれでも薄暗い中で写真を撮るのは難しかったです。
フラッシュが使えないため、綺麗な写真を撮りたい場合は暗闇に強いカメラを持っていきましょう。
名古屋城本丸御殿のオススメの見学順序
今回の条件としては、混雑を避けるために三連休翌日、平日の雨の日に行ってまいりました。
朝一から見学をする予定だったので、午前9時に正門駐車場につきました。お昼を金シャチ横丁で食べる予定の場合、ここがオススメです。
- 利用時間:8:45~21:30
- 利用料金:30分180円
駐車場から出て道路を渡ると、目の前に名古屋城の正門があります。
入場券を購入して、中に入っていきましょう。
区分 | 個人 | 30人以上の団体 | 100人以上の団体 |
---|---|---|---|
大人 | 500円 | 450円 | 400円 |
名古屋市内高齢者(65歳以上) | 100円 | 90円 | 80円 |
中学生以下 | 無料 | 無料 | 無料 |
この日は妻と娘2人(0歳と2歳)の4人家族で行ったため、大人2人分で1,000円でした。
たった500円で本丸御殿を含めた、全てを見学できるのはありがたい!
この日(2018年9月25日)は天守閣が老朽化による耐震工事を行っていたため、わき目もふらずにお目当ての本丸御殿へ直行しました。
新築から間もないため、檜(ヒノキ)の色も鮮やかで、外壁の漆喰(しっくい:外壁の白い部分)も真白です。
まずは、本館ではなく、湯殿書院(ゆどのしょいん)と黒木書院(くろきしょいん)の見学に向かいました。
中が狭く入り口と出口が同じであるため、一度に入場できる人数に限りがあるからです。
1回に見られる1グループ人数 | 所要時間 |
15人前後 | 20分 |
単純計算をすると、1時間で最大でも45人、8時間営業で考えると1日360人しか見られないので最初に見たほうがいいです。
受け付けは、本丸御殿正面を左奥にあります。
名古屋城本丸御殿:展示案内より引用
受付へ向かう途中、本丸御殿と子天守、天守閣の全てが見られる写真スポットがあります。
この日は雨だったのですが、晴れていればもっといい写真が撮れそうですね。
テントで受付をすませて、順番待ちをしていきましょう。
整理券をもらったら、指定時間の5分前に集合しましょう!
見学まで時間があったので、本丸御殿の外観を見て回ります。
受付からの見栄えも圧巻です。
ここで最初の見どころがあります。
本丸御殿の屋根の頂点部分には、「懸魚(けぎょ)」と「ひれ」と呼ばれる装飾が施されています。
本丸御殿の中でも、格式が高い建物にだけ見られる城主の威厳を高め示すための装飾です。
以下画像の「赤枠内が懸魚」、「青枠の中がひれ」です。
これのどこがスゴイのでしょうか?
ひれは錺金具に見えるけど、中には木の彫刻が入っていて、それに漆を塗り、銅板をあわせて最後に金箔で仕上げているんです!
半年~1年程度の時間がかかるほど、手の込んだ装飾なので必見ですね。
本丸御殿の外観は、屋根にも注目です。
杮葺き(こけらぶき)という屋根になっていて、薄い板を何枚も貼り合わせて造られているとても手の込んだ工法になっています。
待っている間も見学になるため、すぐに時間になりました。
湯殿書院
湯殿書院とは、将軍専用の浴室(湯殿:ゆどの)を含めたお風呂場の建物です。
名古屋城本丸御殿:湯殿書院より引用
風呂場といっても、二之間や一之間、さらには上段之間まである格式の高い造りになっています。
廊下を見上げると、漆(うるし)擦りに錺金具が施された格天井が広がっていて、格式の高さがうかがえます。
雨の湿気で湿度が高かったため、室内は優しい檜の香りで包まれていました。
釘隠しにも、錺金具が施されていました。
そして、普通廊下の床は木材ですが、畳になっていてその豪華さが見て取れます。
入り口から入ってすぐに一之間があり、金の襖絵のお出迎えです。
ここは将軍が着替えたりくつろいだりするための部屋で、脱衣所だと考えられているそうです。
上記写真正面に位置する上段之間は、襖が閉じられていて見られなかったので残念です。
脱衣所なのに豪華すぎます!(笑)
金の襖絵の金箔部分に注目をすると、あえて傷や金箔の付け足した模様が付けられていることに気づきます。
新品なので、本来金箔は無傷ですが、あえて焼失する前の風合いを復元模写してあるところが、細部にわたる職人魂に興奮します!
隣の二之間は、床の間がありますが、壁は真っ白です。
実は、障壁画が書かれていたそうですが、どういった絵があったのかがわからないため、未完成となっております。
天井は一之間、二之間ともに廊下と同じ格天井でした。
廊下を抜けると、湯殿(風呂場)があります。
広々とした空間が広がっていて、ポツンと総檜(ひのき)で造られたサウナ式蒸し風呂がありました。
この時代のお風呂は湯船ではなく、壁の向こう側の釜でお湯を沸かした蒸気を引き込んで入るサウナ式です。
当然中に電気はないため、上部にある小さな引き戸を開けて、外の光を取り入れていたそうです。
絶対に閉じ込めないで! 絶対に!!
欲しがりw
中は開けて見せてもらえます。床に隙間が数か所あり、そこから蒸気を取り入れたそうです。
天井は、竿縁天井でした。
黒木書院
湯殿書院をあとにして、次は黒木書院へ向かいます。
湯殿書院と黒木書院をつなぐ廊下には、上洛殿へ続く襖がありました。
引手を見ると、「七宝焼き(しっぽうやき)」と呼ばれる伝統的な工法で造られた、まるで宝石のような装飾を見つけました。
この七宝焼きの金具も見どころです!
青く色付けされた箇所に目を凝らすと、気泡みたいなものがあることがわかります。実は、当時の技術ではどうしても取り除けなかった不純物の跡を、あえて再現しているそうです。
色や質感を本物と同じ見た目にすべく、100回以上もの試作を重ねて作り上げた職人技が光る一品です!
天井を見上げると、釘隠しもレベルアップしています。
本丸御殿はほとんど総檜で造られているのに対して、黒木書院だけは良質な杉材が使われています。
そのため、木材の色味が濃く、檜と比べて黒いことから「黒木書院(くろきしょいん)」と呼ばれていたそうです。
清州城内にあった徳川家康の宿舎を移築した殿舎(でんしゃ)とも伝えられています。
襖絵にはおちついた印象の水墨画が描かれ、ゆったりと過ごせる空間になっていました。
最後は来た道を戻り、湯殿書院と黒木書院の見学は終わりです。
次は、いよいよ本丸御殿の本館を見ていきましょう!
入り口は、正面の右わきに入ると、玄関があります。
靴を脱いでスリッパに履き替えて、無料の下駄箱を利用しましょう。
長押(なげし)を見てみると、錺金具はなく、和釘がむき出しのままです。
長押ってどこのことでしょうか?
長押とは、襖の上の横に流して組まれた木材のことです!
ここからさきは、どんどん豪華になっていくので楽しみです。
車寄(くるまよせ)
車寄せとは、将軍や正規の来客だけが上がれる本丸御殿の正式な入り口です。
天井をよく見ると、玄関となるこの場所から格天井が使われています。
当然、ここから出入りは不可です。
玄関・大廊下
僕たちがよく知る玄関とは異なり、二之間、一之間からなる場所になります。
本丸御殿へ訪れた来客が、最初にとおされる建物です。襖絵や障壁画には、虎やヒョウが描かれています。
勇猛な走獣を見せつけて、威圧したり驚かせたりしていたそうです。
実は、当時は虎やヒョウは見ることができなかったため、書籍や毛皮などを参考に描かれたといわれています。ヒョウはメスの虎だと思われていたそうです。
そのため、親子のように描かれています。
続いて一之間には、床の間(向かって左側の虎が描かれている場所)や違い棚(右側の棚)が備え付けられた造りになっています。
一之間、二之間ともに竿縁天井です。
横幅6mもある大廊下を通り、奥へ進んでいきましょう。
廊下にある障子に目を向けると、一枚ずつ丁寧かつ正確に張られた障子が並びます。
細かいところですが、全てにおいて正確に再現されているところにも常に目を向けましょう。
表書院(おもてしょいん)
大廊下を抜けると、表書院と呼ばれる建物に入っていきます。三、二、一之間、そして上段之間で構成されています。
廊下は格天井になっています。
三之間の奥には「ジャコウネコ」が描かれています。
現代ですら珍しい動物を描き、知識の高さをアピールしていたのかな?
二之間から、襖絵が走獣から花鳥図へと変わっていきます。
一之間からは、上段之間が少し顔を出します。玄関とは打って変わって、襖絵も華やかで豪華です。
見上げると、格子の中に細かい細工が施された「小組格天井」になっていました。
いよいよ上段之間です!
ここに藩主である徳川義直が着座したとされる部屋なので、最も豪華かつ格式の高い正規の書院造で飾られています。
下の画像正面に位置する4つの扉は、頂戴構(ちょうだいがまえ)と呼ばれる部屋飾りがあり、細かい細工を施したきらびやかな飾り金具が目を引きます。
本来、頂戴構えの戸を開けると殿様用の寝室や納戸へ続く扉でした。
しかし、江戸時代になると、殿さまや将軍を守るために家来が武装して隠れていて、来客に不審な動きがあったときにすぐに守れるようにしていたそうです。
そのため、別名「武者隠し」とも呼ばれています! 中がどうなっているのかが気になりますね。
床の間には、威厳を示すかのように松が描かれていて、天井は折上げ小組格天井になっています!
一歩下がって上段之間を廊下から見ると、付書院(つけしょいん:画面左側にある出っ張った部分)と欄間があり、「さすが上段之間!」と思わせる作りです。
対面所:身内しか入れない建物
対面所とは、藩主が家臣との面会や宴席などに私的に使用した建物です。
当時は身内しか入れなかったため、こうして足を踏み入れられることに感謝します!
対面所に入ると、引き戸は黒漆で塗られて錺金具が装飾されていました。
順路としては、まずは納戸(なんど)一之間、二之間から見ていきます。
表書院までは金ぴかだった襖や障壁画は、落ち着きのある花鳥図に変わっていました。
対面所次之間に来ると、襖絵は和歌山の城下町の賑わいや人々の賑やかな絵が描かれています。
庶民の暮らしを映し出した次之間は、くつろいだ雰囲気を醸し出していました。
天井を見上げると、黒漆塗りの折上げ小組格天井になっており、金箔が顔をのぞかせます。
家臣たちを大切にしていたことが伝わってきます。
続いて上段之間に入ります。
この部屋の襖絵は京都の風景が描かれており、落ち着いた雰囲気がありながら、豪華な装飾が威厳を示します。
天井は、黒漆塗りで仕上げた二重折上げ小組格天井が圧倒的な存在感を示していました。
徳川義直や家臣たちは、ここでドンチャン騒ぎをしていたのかな? 仲間に加わりたかった……。(笑)
鷺之廊下(さぎのろうか)
鷺之廊下は文字通り、「鷺(サギ)」の絵が書かれた廊下です。
対面所と上洛殿(じょうらくでん)を結ぶための通路といったところです。
鷺之廊下および上洛殿は、1634年(寛永11年)に、三代将軍徳川家光の上洛に合わせて作られました。
ここからの見どころは、長押の上にまで障壁画が描かれていることです。寛永期の特徴になります。
障壁画も金になり、上洛殿への期待値が大きく膨らんでいきます!
徳川家光や徳川義直がここを通って上洛殿へ向かったことを考えると、興奮してきます!
上洛殿(じょうらくでん)
この上洛殿は、徳川家光が京都へ行く(上洛する)際に、一度宿泊しただけで江戸時代を通してほとんど使われなかったそうです。
上洛殿は、将軍の御座所(おましどころ)として位置づけられたことから、御成書院(おなりしょいん)とも呼ばれていたそうです。
御成とは、「御出ましに成られます」といった意味になります。
たとえば、時代劇などで「~様の、おなーりー」といった言葉を聞いたことがありますよね。これは、普段使いに変えると「~様が出てくるよ~」といった意味になります。
上洛殿は、将軍が御成になることから、本丸御殿の中で最も贅をつくした建物です。
ここからが本丸御殿の中の本丸……。
オラ、ワクワクすっぞ!!
上洛殿の廊下は、これまでにないほどに豪華です。
上を見上げると、黒漆塗金具付格天井になっています。
天井板の中が白くなっているのは、これから絵が入るそうです。
ただ、復元中であるため、未完成です。全ての絵を復元するためには、まだ10年以上かかるともいわれています。(2018年9月現在)
1区画ずつ、全てに絵が入ってくることを考えると、廊下もこれ以上に豪華になりますね!
僕たちが知っている、廊下の固定概念が覆るほどの煌びやかさがあります。
さすが上洛殿。
釘隠しの飾金具は、尋常ではない存在感で目立っております。
これ1つだけで100万円もするそうです(;^_^A 数えきれないくらいあったけど……。
すべて職人の手作りだと考えただけで、一瞬たりとも気が抜けません!
上段之間に差し掛かる廊下には、これまでの人生で見たことがないほど豪華な彫刻欄間(ちょうこくらんま)がありました。
上洛殿にある彫刻欄間は、富山県井波で彫り上げられた後、京都で彩色されました。最大で幅3,240m高さ1,400mm、厚さ270mmの大きさです。
1枚を彫り上げるのに、10人がかりで半年以上の年月がかかるそうです。
彫刻欄間の傑作が、現代の職人たちの技術力でよみがえったと思うと、背筋が「ッゾクゾク」っとして、興奮がこみ上げてきます!
これから見ていく部屋にも彫刻欄間がありますが、全て下から見上げたときに一番美しく見えるように彫られているそうです。
400年前も同じものがあったと考えると、当時から職人の技術力の高さが伝わってきますね。
廊下でこの豪華さなので、それぞれの部屋の彫刻欄間も楽しみです!
「ここからは将軍が御成になる上段之間」ということが、廊下を歩いただけで一目瞭然です。
欄間1つをとっても、これまでにない豪華さです。
廊下の突き当りには、湯殿書院と黒木書院へ続く襖がありました。
ここにも描かれるそうですが、今は未完成だそうです。
引き戸は、金箔が貼られた上に黒漆が塗られ、これまでにないほど繊細な錺金具が見られます。
廊下だけでも、他の建物にはないほどの豪華さです。
いよいよ、ここからは上洛殿三之間から見ていきましょう!
ご覧の通り、三之間の襖絵や障壁画は格式の高い水墨画が描かれています。
そして、煌びやかな彫刻欄間が目の前に飛び込んできました。
この彫刻欄間は、より格式の高い部屋殻の見栄えが良くなるようにはめ込まれています。
三之間からの見栄えも豪華ですが、裏面であり、次の部屋の二之間が表面です。
ということは、上段之間からの眺めはどうなっちゃうのでしょうか……?
実は、彫刻欄間は一之間からの眺めが1番です!
将軍が上段之間に座ったとき、その威厳を示すために一之間からの見栄えが最も美しくなるように設置されているからです。
彫刻欄間の上には、絵がはめ込まれた黒漆塗金具付格天井が豪華さを際立たせています。
三之間の襖絵は、4面にそれぞれ春夏秋冬の「四季花鳥図」が描かれています。
中でも、三之間には本丸御殿の上洛殿の中でも、「雪中梅竹鳥図(せっちゅうばいちくちょうず)」と呼ばれる襖絵は必見です。
上洛殿の障壁画や襖絵は、狩野探幽(かのうたんゆう)ひきいる「狩野派の絵師達」によって描かれています。
その中でも、三之間北側にある「雪中梅竹鳥図」は、狩野探幽の最高傑作と呼ばれています。
またの名を、雪中梅竹遊禽図襖(せっちゅうばいちくゆうきんずふすま)とも呼ばれているそうです。雪をかぶった梅の木と、広々とした空間に鳥が舞っているだけのシンプルな襖絵です。
「余白の美」を強調した、これまでにない優美な絵として現代に語り継がれています。
また、背後の広々とした空間には白だけではなく、金箔を細かくした金砂子(きんすなご)が散りばめられています。
シンプルな絵の中に、奥行きも感じられますね。
雪中梅竹鳥図の本物の襖絵は、空襲前に取り外されて焼失を免れています。
実は、ここも見どころです!
今回復元模写された雪中梅竹鳥図には、「梅の木にとまる雉(キジ)」が描かれています。
しかし、焼失を免れた本物には、梅の木にとまっているはずの雉の絵は描かれていないのです!
本体部分だけを切り取って、盗んだ輩がいたらしいです。
ただ、復元模写の指導者である「加藤順子氏」は、現物には記事のシッポだけが残されていたので、「それも復元するのが筋だろう」と考えたそうです。
参考 復元模写名古屋城本丸御殿狩野探幽の他の作品をもとに、雉を書き足し、描かれた当初の形に復元模写されたのが現代によみがえった雪中梅竹鳥図になります。
続いて、二之間を見ていきましょう。
違い棚が飾られる床脇はないものの、床の間があります。水墨画が、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
とはいえ、ここは上洛殿二之間です。
三之間と二之間の間に位置する、彫刻欄間の表面には、色鮮やかな鳥が彫られています。
天井を見上げると、豪華な装飾と共に、水墨画の入った黒漆塗蒔絵付格天井が広がります。
同じ絵柄の三之間とは異なり、二之間は一区画ずつ違う絵が描かれています。
次は一之間です。
正面には、上段之間が顔をのぞかせています。
ま、まぶしすぎます!
先ほど教えていただいた通り、一之間から見る彫刻欄間はどちらもため息が出るような迫力ですね……。
まさに豪華絢爛!
上段之間に将軍が座ったら、その存在は圧倒的で絶対ですね。
上段之間側の彫刻欄間には、鶴が彫られています。
東側(二之間側)の彫刻欄間二は、ニワトリが彫られていました。
その中の一つに、中国故事の由来の「諫鼓鶏(かんこどり:太鼓に乗ったニワトリ)」が彫られています。
どういった意味があるのでしょうか?
中国故事では、間違った政治をしたときに、太鼓を鳴らして知らせるように設置してあったそうです。
ただ、その政治に誤りがなく、誰も叩くことはなかったので、太鼓に鳥が止まるようになりました。
その結果、諫鼓鶏は政治に誤りが無く、天下泰平を意味するものの象徴になったそうです!
襖絵には、行動模範とした「帝鑑図(ていかんず)」と呼ばれる彩色水墨画が描かれています。
この襖絵も狩野探幽が手掛けたものです。(写真は復元模写)
襖絵は、将軍が上段之間に着座したときに、正面に見えるように描かれているそうです。
天井は「黒漆塗折上げ蒔絵付格天井」となっているのですが、天井絵がまだ挿入されていませんでした。完成が楽しみです!
最後は、本丸御殿上洛殿の中で最も格式が高い「上段之間」です。
贅の限りを尽くしてあるため、部屋というよりももはや芸術品であり、美術館のようです。
三代将軍の徳川家光はこの部屋に泊まったんですよね……?
こんなんじゃ落ち着いて寝られませんね(笑)
実は、三代将軍家光と徳川義直は仲が悪かったそうです。
そのため、限度を超えた豪華な造りにして、「どや、こんな財力と権力あるんやで」ってところを見せつけたのかもしれませんね。
実際に、上洛殿をみた三代将軍家光は、不機嫌になったそうです(笑)
それにしても、一泊しただけと考えると、贅沢すぎる作りですね。
上段之間から一之間の襖絵を見ると、正面に見えます。
そして、上洛殿上段之間を見上げると、「黒漆塗二重折上げ蒔絵付格天井(くろうるしぬりにじゅうおりあげまきえつきごうてんじょう)」をお目にかかれます。
くらえ! 黒漆塗二重折上げ蒔絵付格天井(くろうるしぬりにじゅうおりあげまきえつきごうてんじょう)!!
必殺技みたいに使わないでくださいw
「豪華絢爛」という言葉は、上洛殿にぴったりです。
梅之間
梅の間は、将軍のおもてなしを命じられた家臣たちの控えの部屋です。
普通に考えたら豪華すぎる作りですが、上洛殿を見た後だとシンプルに見えてしまいます(笑)
将軍や藩主も同じ気持ちを感じていたのかもしれませんね。格式を表す意味がそれですね。
上御膳所(かみごぜんしょ)
上洛殿の将軍専用として、食事の配膳の際に温めなおしや配膳を行った場所だそうです。
天井には、煙出しがありました。
隣には上之間と御上殿と呼ばれる部屋があったのですが、何に使われていたのかは不明です。
下御膳所(しもごぜんしょ)
上御善処が上洛殿用だったのに対して、下御膳所は普段使いの配膳や温めなおしの建物でしょうか。
ここも、天井には煙出しがあります。
壁際には、本丸御殿復元に募金をした人たちの名前が飾られていました。
最後に、廊下を抜けると再び玄関に戻るので本丸御殿内部の順路は終わりです!
2歳の娘が駄々をこねたため、上洛殿前から抱っこをして撮影しながら見学をしていたのですが、出るころには汗びっしょりでした(笑)
天井が高く風通しの良い造りですが、それでもエアコン設備はありません。
夏は暑く冬は寒いことが予測されるため、事前に準備と対策をしておくことをオススメします。
上台所(かみだいどころ)
外に出て天守閣のある方へ向かいます。
すると、本丸御殿の中に、一ヵ所だけ本瓦葺き(ほんがわらぶき)の屋根の場所がありました。
ここは上台所と呼ばれており、将軍専用の食事を作る建物だそうです。
ただ、この日は見学ができませんでした。
屋根が少し空いている場所は、煙出しです。
本丸御殿ミュージアムショップ
上台所の方へ近づいていくと、本丸御殿ミュージアムがありました。お土産屋さんですね。
クリアファイルやポストカードなど、「THE お土産」といったものがたくさん販売されていました。
名古屋城の天守閣は、2018年9月現在は耐震工事中で入れません。
しかし、当時の資料をもとに、天守閣の木造復元も進められていくそうです。生きている間に拝みたいです!
まとめ
本丸御殿を見て回る際は、写真を撮りながら嘗め回すように見学をして1時間ほどかかりました。
湯殿書院と黒木書院の所要時間は、約20分です。
平日の雨の日で空いているかと思いきや、本丸御殿の見学をする頃には混雑してきました。
団体の外国人を含めた観光客が多く、完成したばかりということと、天守閣に入れないことが原因かもしれません。
平日でそこそこの混み具合だったので、ゆっくり確実に見たい方は早めに行くことをオススメいたします。
この内容がたった500円で見られるため、絶対に行くべきです!
当時であれば、一般人の僕が足を踏み入れることすら許されなかった場所です。そのため、この存在を見ることはおろか、知ることすらなかったかもしれません。
それが今こうして、時代の流れとともに一般公開されて拝めるのは「本当に幸せなことだな」と思います!
伝統的な職人技を使える職人は減ってきている中で、昔ながらの技術を後世に伝えてきた方々に感謝です。
「これぞ名古屋の原点!」と思わされる復元された豪華絢爛な本丸御殿に、ぜひ、足を運んでみてください。